私たちの郷土
     






am天草四郎像
  歴史・文化
 
今から400年以上も前の戦国時代、この地はキリスト教と共に多くの西洋文化と技術がもたらされました。中でも1580年、イエスズ会により日本で最初の中等機関である、有馬のセミナリヨやコレジオ(大学機関)等の教育施設が設けられました。セミナリヨの第1期卒業生の中から4名の少年が天正遣欧少年使節としてヨーロッパへ渡り、西洋文化が華開いた地です。

その後、徳川幕府のキリシタン弾圧と重税に対抗し、3万余の原城に立てこもり、時の政権を相手に起こした島原の乱はあまりにも有名であり、殉教の地、原城址を始め、キリシタンにまつわる悲話は、いたる処に語り継がれています。領民が全滅した当地は移民政策がとられ、四国・小豆島を中心に各地からからの多くの人々が移住させられ、多種・多様な文化を織り成し独特な気風となっている。
 
また、明治・大正時代は海外への出稼ぎ(からゆきさん)を生み、現在では外国航路の船員を数多く生んでいる
 
  作物・産物

温暖な気候を利用し、多品目にわたり促成・抑制栽培がなされ、特に早出し馬鈴薯・玉ねぎ・メロン・ミカンを中心に、最近ではトマト・イチゴ・アスパラ等の施設栽培が伸びてきている。また赤土の重粘土から産出される作物は味が濃く、栄養価が高いと市場でも高い評価を受けている。
 
海の幸も数多く、潮の流れの速い早崎海峡で取れる新鮮な魚類・ウニ・海草は珍味として喜ばれる。
特にエタリの塩からは、い\雲仙こぶ高菜と共に世界スローフード協会より「味の箱舟」に登録されました。

     
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